「その3」大地震時のパンダ基地(その時、幼年パンダ達は・・)

2008・5.12・四川汶川地震時の 
卧龙熊猫基地の状況は
日本では 殆ど知られていなかったと思います。


突然の惨劇ですからねぇ。


8.0級の地震とは どんなものか 計り知れません。 挙句の果て 余震でさえ6.0級の 巨大なものですから。



四川省の臥龍は、中国で最も重要なパンダの生息地の一つです。



地図で黄色く囲んで見ましたが 卧龙 映秀 汶川 北川 この直線が
被害が甚大で
成都の上のほうに都江堰とありますが ここも重要なパンダ基地のひとつです。


あの広大な国土で起きた
山津波のような山崩れは 地震后毎日の様に 余震で山が崩れて
行く手を阻まれて 救助の時間が 大幅に遅れ 多数の犠牲者が出ました。
新しい湖が数個も出来たといいます。




震災時 卧龙熊猫基地では パンダは全員で( 成年 幼年パンダ) 63頭が生活していました。


毎年 赤ちゃんパンダが誕生していますので
地震時 前年の2007年夏生まれの幼崽たち14


頭が 10ヶ月目でした。





丁度 離乳(乳離れ)の時期を迎えて、これからどんどん成年パンダの様な食べ物を
与えなければならない時期に当たっていたわけです。


普通 成年パンダは1日1頭あたり竹だけでも20~30kg。(日本でもそうですが)
他に五穀の雑穀でつくったクッキーをたべ、一日に四回果物を食べ、チビ達は牛乳を二回飲みます。
時には大きな肉、サトウキビも食べます。(パンダは肉食です)





地震后卧龙熊猫基地は外部との全てが遮断され、30時間陸の孤島となったと書きました



基地で備蓄していた食糧は 2~3日分。パンダは生理機能が特殊なので
一日10時間は食べさせなければなりません。(パンダが年中口を動かしているのをご覧になったことがあると思います。)

タケノコなどは冷蔵庫に入れてあったのが電気が切れてしまっているので
変質して来ていて与えるわけにはいかず

早急に食料を外部から調達しなければなりません。



余震の恐怖
でも
チビパンダ達は、お腹を空かせて 、
青草を食べる仔も出てきました。








震災で 落ちてきた大きな石のそばで
並んで(日ごろ飲むことのない)おかゆのスープを飲む幼稚園パンダ(2007年級)たち。
2007年生まれ(10ヶ月)の 幼稚園パンダたちは 全てが情緒不安定になりました。



成年パンダたちも 
仮設の板小屋での生活
それは 大変なものでした。雨の日もあったけど
余震が酷い。



余震のたびに身を寄せ合って


一ヶ月後の 6月8日 まだ こんな余震が。


成都パンダ繁殖研究基地は国家林業局、四川省林業庁などの緊急指示を受け
とりあえず最短で臥龍パンダのために2500キロの竹、2000キロの竹の子、100キロの圧縮クッキー  200キロのミルクを用意し
大量の竹や食料は、到着したのが 一週間後の18日。
陸路が寸断されて 路が全く消失。




待ちに待った竹と食料品、一般のボランティアがトラックで届けたそうです。




何事もなければ 成都~卧龙間は120キロの距離。




明日に続きます~~