【華流ドラマ《如懿傳》その7 ”今も昔も 賄賂の国・中国】


だだっ広い紫禁城(故宮)の
時代劇ですから 真実と架空の境界が不明の方も
華流ドラマファンには 多いと思いますので
少しづつ説明を加えていきたいと思います。
中国・北京人の友人でさえ 紫禁城は何度言っても 表情が変わり わけわからん と言います。





2018年位から テレビドラマで 紫禁城を取り上げた皇帝劇が 人気が出て 
それまでは 延喜宮など 見物客も少なく
閑散としていたところでしたが 今は トップクラスの賑やかさです。







今日は 前回書いた 「延禧宮」について~~~。



かって 如意伝ヒロイン 如意(青桜)住んだ宮殿、柿の木が色づいていますよ・・と 故宮博物院さんが知らせてくれたところ。








如意が住んでいた頃は 勿論木造です。
1730年代 日本は江戸時代。






「清宮内務所録」によると 8代の「道光帝」の時に 「延熙宮」は五つの本堂はじめ全25棟の建物全部が焼失。門だけ残りました。


故宮博物院 収
感謝分享 






ご参考までに~
第6代 如意伝ドラマの皇帝 乾隆帝(けんりゅうてい)







7代 嘉慶帝(かけいてい)
 2006年 ドラマ香港  「金枝欲孽」










8代「道光帝」


1997年中国映画 「道光秘歴史」
道光帝役 台湾出身の 赵文瑄さん(63歳)







8代「道光帝」の時焼失した宮殿は 
清の宮廷の財政的制約により、(というよりは 立て直したくても 立て直す財力がなかったんですけど)
延禧宮を一時的にも
再建することが出来ませんでした。



延喜宮









清朝の玄通元年(1909年)
もとの 延禧宮の中庭にこのような洋式の建物が建てられました。


全体は鋼鉄 独特のデザインと高度な技術を備えており、魚が泳いでいるのを見ることができます。






巨額な費用を投じた建築物ですが
中断を余儀なくされ、建物は未完成のまま
清王朝も内外の混乱の中で歴史の終焉を迎えることになります。
そして 尚且つ 戦時中に飛行機から落とされた砲弾が命中し、
焼けただれた 姿になりました。








完成することのなかったこの宮殿は、遺産保護の点で、2019 年 3 月、故宮博物院はシンガポールの黄廷坊慈善財団の支援を受けて、この建物を含む延西宮の研究保護と修復作業を開始。


故宮博物院 収
感謝分享 (lily-sakuracat)






2020年12月に 一般開放にこぎつけました。
故宮博物院は 現在通常営業をしています。




紫禁城は以前は60%しか観光が出来なかったのですが 現在は ほぼ70%まで見ることが出来ます。
荒れ果てた お化け屋敷の様な
未開放地域のご紹介は 追って致します。





清とイギリスとの間の
2年間にわたる「アヘン戦争」が起きたのも
この頃 1840年。



「道光帝」在位: 1820-1850年ですからイギリスとの交易で頭はいっぱいで



財政的にゆとりもなく
尚かつ
乾隆帝の時代のように 金銭的にゆとりがあった時代ではなく 妾に ウツツを抜かしている暇は
なかったのです。







皇帝の権力が全てを統括していたわけではなく
「科挙」という制度がありました。(高級官僚を登用するための試験制度のこと。)
学識のある人間が文人官僚になって国を統治しました。


この林则徐も 科挙で道光帝を翻弄させた国家公務員です。






 


隋時代に始まり、
清朝の末期に廃止された中国で行われた官吏(いわば 国家公務員の採用試験。現在の日本の国家公務員試験などという生易しいものではなかったらしい。



《中国は、今も昔も賄賂の国》





官僚は特権階級。
貴族(没落貴族も含む)ではない庶民階級の者が文武問わず正規の官僚として高位へ登る道は、極端に競争の激しい科挙(進士採用試験)しかなかったのです。
科挙制度は  改めてブログで~~。





「科挙」に受かって、官吏になれれば、


「賄賂」ですぐに金持ちになれたことが合格者にとっても また一族郎党にとっても 全てメリット大。



皇帝としては 科挙制度は
優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的。




どのような人が科挙に合格したかというと、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使うことのできた人



一般家庭であれば家族の手伝いをして働かなければなりませんから、勉強をしている時間などありませんでした。




「清代の国家公務員の制服」
(宦官ではありません)






皇帝に諂っている宦官とは 根本的に次元も違うのですが、科挙官僚を支えた宦官の存在
宦官と官僚が絶妙のバランスで牽制しあい、難局においては協力したことが、中国の政治を支えたのです。





lily-sakuracat

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