【華流ドラマ《如懿傳》その10”乾隆帝の正室の死・その1”】



雍正帝(清の第5代皇帝・康熙帝の第4子)
雍正帝の皇后と第二夫人の
説明は終わりました。




🙄🙄🙄🙄可愛的皇太后


「皇后フチャの葬儀」シーンで
休憩時間の皇太后役 鄔君梅さん


















ドラマはすでに完了しているので 全話ご覧になった方も多く居られます。
話は飛び飛びになりますが 役どころの因果関係から迫ってみましょう。





乾隆帝・母親の話題は終わりましたから


次は


 
💖乾隆帝の妻(正室・第一夫人)を中心とした伝説
或いは 故事から。。。。



先だってもブログに書きましたが


乾隆帝・正室(満州語で正室は嫡福晋といいます)



清の時代 皇位継承には母親の出身が非常に重要でした。まず 満州族が一番。そして富豪と格式ある家庭の娘。
母親が 漢族 出身は もってのほか。
当時 漢族は異民族ですから。





💖正式名称:
孝賢純皇后(こうけんじゅんこうごう)
出身:満洲鑲黄旗(満州貴族) 
姓は(富察)フチャ(日本語では ふさつ)
満州族第一の大富豪の娘で
幼い頃から教育を受け、 礼儀作法 身に着けてきました。


💖雍正5年(1727年)、弘暦(後の乾隆帝)に正室として嫁いだ。


享年:36歳 (1712年~1748年)
死去 乾隆13年3月11日



🟥如懿傳では 富察·琅嬅と言う名前ですが 歴史上の本名不明


「琅嬅」


この名前は、原作の著者が個人的好みで 付けたもの。




「如懿傳」 フチャ役 
この女優さん かって昔
4万人のオーディションの中から選ばれたらしい。







💝💝💝2日前 「百度」にアップされたばかりの 最近の写真です




🟥皇后フチャ・逸話人柄:
如懿傳では 随分悪役皇后として書かれていますが 現実は節約家だったらしい。側室に対しても、嫉妬せず、後宮女性たちを 上手に、纏め
派手なものは身に着けず 質素な女性だったので 乾隆帝が一番愛した皇后だったと史実にはあります。王妃として そつなく 公務をこなしていたらしい。






💥如意伝では 
如意(青桜)が乾隆帝に幼馴染として寵愛されていますが
史実は違ったようです。







それは 後程 如意についてのところで 詳しく ご紹介します。





🟥皇后フチャの死
36歳で去世ですが 随分若死ですね。
ドラマでは 亡くなるときに 
乾隆帝は 皇后が 
如意が邪魔で陥れようとして 他の側室たちと悪事を働いた と 物凄く
皇后を咎めております。




史実とは 
なんだか~~ ちょっと 違うのよねぇ。



まあドラマだから 御面白おかしく書いてあるので仕方ないとして 史実に近い物語は 如懿傳ではなく
瓔珞<エイラク> の皇后が それに近いような気がします。




動画は死ぬ前に 悪行を白状する皇后。






皇后・フチャと乾隆帝




河に落ちたと言いますが・・・
(鬱病でしたから・・・)





誰も気が付かず助けなかったらしいのですが
「凌雲徹」が飛び込んで 助けます。



😍😍😍😍このイケメン🤩🤩 後程色々あって 最後可哀想な死を迎えます。人気ある役です。
別の日に 出演映画など紹介します。















皇后フチャの死は


乾隆13年  1748年2月
《清史纪事本末》や《清史稿》《清高宗实录》などは 少し異なることもかいてあります。











 








乾隆帝の治世は穏やかで「寛容」が乾隆帝の方針でしたが
皇后の死により 性格が変貌。



皇后は「長春宮殿」に暮らしていましたが





内部
故宮博物院が管理 (見学できます)

一応未開放地域になっていますけど
時々 変わりますので。(訳わからん!)



赤枠





没後は
皇帝は 封鎖して 誰も入れず
心の余裕を失った乾隆帝は家臣のミスも厳しく処分。些細な失敗でも降格処分したり
極刑にしたそうです。






乾隆帝は富察氏のあとは皇后をおかないつもりでした。でも皇太后の命令で仕方なく如意を皇后にしました。





しかし
乾隆帝の心の中ある富察氏の幻影と比較されることになります。



結果的に輝発那拉ウラナラ・青桜は
乾隆帝を怒らせて如意は廃位されてしまい 最後は如懿傳ドラマとは大変違った哀れな
亡くなり方をします。


次へ続く~~~~




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