「汶川大地震」その5「臥竜パンダ基地は陸の孤島になった」


2008年5月12日より 5日間
臥竜パンダ基地は 陸の孤島になってしまいました。


地震の2日后



5月14日、やっと臥竜に着いた最初のヘリコプターは条件が悪いため着陸せず、少量の物資を降ろして離れた。








震源に近い臥竜では
当面  電気系統がだめなので
冷蔵庫の食料も備蓄の食糧が底をついてくる。




新鮮な竹も沢山備蓄してあるわけではないので
63頭(行方不明の仔達が数頭いたけど)分の竹はたちまち なくなる。




やっと 5月16日朝、臥龍自然保護区と衛星電話で連絡がついて 緊急援助要請を受け、国家林業局四川省作業部会と四川省林業局は大量の食料とジャイアントパンダの餌を調達。




成都~臥龍間の道路がメタメタなので
迂回迂回山越え。16日出発 臥竜に着いたのが
17日午後8時。
普通ならば  数時間のところなのに。




どんなところを山越えしたのかと言うと
下の写真の様なところ



日本の富士山より高い。 中国内陸部は こんなところばかり。


パンダ自然保護区が含まれる。







臥竜から望む 「四姑娘山」(ここも保護区の一部が含まれる)6000m級の高山。
「四姑娘山」の説明は別の機会に・・・





このように救援物資の第一陣は6台で成都を出発、宝興、大囲、八郎山、登昌を迂回し、5月17日午後8時に臥龍自然保護区に到着した。









特に海抜4,000メートルを超える八朗山は風化した山で、険しいので有名。
岩が露出し、地震がなくても
崖から落ちてくる岩の破片によって形成された瓦礫の斜面や石の山が見られます。





物資には基地のスタッフの食料も含まれ ミネラルウォーター、インスタントラーメン、消毒用水、綿の衣類数点、新鮮な竹キロ、リンゴ、新鮮なタケノコ、饅頭、ジャイアントパンダのための救急薬のバッチ。







なんだって かんだって
相手は 動物ですからね~。地震で食料が底をついている事情など分かるわけない。とにかく 腹減った 腹減った と 泣きわめくだけですよ。




残っているミルクを チビパンダに与えます。
野良猫ちゃんが 路上でミルクを飲んでいるイメージです。建物の大半が壊れたので。






成年パンダは 少し ゆとりがあります。
しかし そのうち 雑草を食べ始めるパンダ達も
いたらしい。





建物が壊れてしまっているので
外で パンダたちの食事を用意するスタッフ
地震后一か月続いた余震で 山から 大きな石が降って来るので
フードをかぶっている人も。。



赤ちゃんたちに ミルクを用意






支援食糧が 届かないので
にわか仕立てのかまどで
パンダの大好物のお団子を作る





パンダが大好きな
『窩窩頭』

コンロがだめなので
外で窯で蒸す。竹は、絶え間ない余震で崩れている山裾の方で危険を承知で採る。

国宝パンダを守る為には スタッフも、命掛けでしたよ。





余談ですが『窩窩頭』について
ラストエンペラーに出た女帝西太后の面白い
エピソードがありますので 別の機会に・・・









食料も不足、囲いも即席に作った緑色の板塀の囲いに大勢のパンダ達を閉じ込めておくのも大変です。


救援物資の2便が成都基地から届いた5/19の便の帰りに 震災前年に生まれたチビたちのうち 8頭を乗せて 成都基地へ。




(スタッフ達が地震直後抱いて山越をして臥竜鎮へ避難したチビ)



残る6頭は 最後まで残りましたが
 1年后  この仮設の避難所も、重建の為に 撤去するため



チビ達は
雅安碧峰峡へ移動。




成年パンダ達は 5月20日以降  雅安碧峰峡はじめ 各地の動物園へ次々移送が始まることになります。




私が持っている卧龙基地の名簿では 2007年生は14頭となっていて 



その中の一頭は2007年12月始めに
寒空のした荒野で母パンダに捨てられたチビ 「汪佳702号」。




このチビが
汶川地震の時 臥竜基地で一番年下でした。




母のウンチのそばで 母が帰って来るのを寝て待つチビ のちの「汪佳702号」



しかし 林業局の職員さんは3時間も4時間も、
このチビの母を待ったらしいけど
母パンダは帰ってこなかったらしい。


このチビは 母に捨てられた経験 大地震の怖い経験をしました。
このチビ汪佳のことは 別の機会に。。。


昨日紹介した 依宝とマッチングして赤ちゃんを設けてます。


母に捨てられたとは知らずに 寝て母親を待つ姿には

胸が痛む。



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