「汶川大地震」その3「8.0級の震源地」

日本の3.11大震災は 海岸線に沿った地方の被害で
大津波による 悲惨な被害でしたが



四川省・汶川大地震は 四方が2000m~4000m級の高山に囲まれた地方の被害なので
いわゆる山津波と呼ばれるもので 山が崩れ落ち人々始め全ての物が
埋まってしまう悲惨な被害でした。






震源地
四川省汶川県映秀镇牛眠沟蓮花地区


牛眠溝(沟)蓮花心沟 (沟とは峡谷の意味) 


震源の長さは約 3 キロメートル。




山は低く見えますけど 主峰は2,800 メートルを超えていた。つまり日本の富士山より多少低い山々が 軒並み 総崩れしたと言うことです。




雪が降っているように見えますけど 全て土石流。



アバ・チベット・チャン族が多く住まっていました。



ここにも 小さい町が 有りましたけど
全て地中に 飲み込まれた跡形もなくなりました。勿論救出は出来ません。




長江(揚子江)の支流に眠江という大な川がありますが
土石流で 川は堰き止められ 川の流れが変わるほどの巨大地震でした。







震災前の街並みの略図  この川が 眠江(揚子江の支流)
都江堰~映秀~汶川 震災前に私は訪れたことがあります。
川沿いにそった国道はすばらしかったですよ。
あの小山も崩れ 下を走る国道が 地震で ズタズタになりました。




後から 詳しく書きますが
生命線の国道は一本だけなので
現場へ救出に 入ることが簡単に出来ず
大勢の人が犠牲になったのです。






震災前



震災後







山の緑が 青々とした 震前の映秀 







震災后
高山が 全て総崩れ 土石流。
地震の跡というより
戦災の跡の様な感じですね。










遺体を背負っていた父親の長男がいた中学 
映秀県漩口中




落ち着いてから震源地である故郷を訪ねた女性(アバ・チベット・チャン族)
土砂の中に 実家・両親が埋まっていても
助けることも出来ない。
白いところは全部土石流の跡。









地震后ただちに 被災地の最前線に
成都軍区から6,100人以上の将兵(軍隊)とヘリコプター4機を被災地に派遣し、被災地に駐屯する民兵予備軍と軍総合病院の医療部隊も地震救援活動に加わったらしいのですが



しかし
これでは降りることも出来ず 中国軍のヘリが墜落した事故もありました。


最終的には 人民解放軍、人民武装警察部隊、民兵・・・10万人が救援に入った。




海外の協力隊も5月18日ごろまでには
次々現地入り。




海外協力隊で 一番に現地入りしたのは
なんと 日本の救助隊でした。



日本の救援隊は とても評判が良かったのですよ。
遺体救出には お一人お一人尊厳に敬意を表していました。









風光明媚な滝の滝壺が
40mもせりあがってしまったところや



近くの川が土石流で堰き止められ 堰止め湖が
100個とか200個も出来ました。






救出や復興が遅れた理由の一つに



1っカ月も続いた 5.0クラスの余震があります。




しかし 中国は不思議な お国ですよねぇ。


復興に50年はかかるといわれた大震災ですが


しかし~~
この2か月後に 夏の北京オリンピックが開催されたんですよ。
日本の 北島康介さん、吉田沙保里さんなどが
金メダルを獲りました。。。。


日本だって 昨年のコロナパンデミックの時だって オリンピックを開催したんだから、
なんとも言えませんけど。




後片付けに携わろうにも 余震のたびに
逃げまどわなければならないなんて。。。


片付けても片付けても 余震で壊れる・・・
それも デッカイ余震です。




余震の合間を見て 後片付けです
まるで 戦争の後のようですね



ここいらの住宅は 5月12日の地震では 建物の崩壊は逃れたけど
余震で壊れてしまったらしい











「汶川大地震」その2「卧龙大熊猫保護センター」

5.12汶川大地震の時
特に震源に近かった 四川臥竜基地のパンダたちは
我々人間では計り知れない精神的ショックを受けていました。
パンダ達に付き添った飼育員の皆さん達には敬意を表したいと思います。



向卧龙基地每一位在汶川地震后为保护国宝大熊猫不遗余力、满怀爱心的人表示感谢和敬意。👏🏻👏🏻

(lily-sakuracat)














2008年5月12日、
四川臥竜・中国パンダ保護研究センター(1980年に建設)では 63頭のパンダ達を飼育。


しかし、地震で、施設の3分の1が被害に遭った。






32カ所ある飼育ゾーンのうち山に面した14カ所が土砂に埋まり、生存環境は急速に悪化。




パンダの安全を確保するため、研究センターは
臥竜から400キロ離れた、被害の程度が比較的少なかった雅安碧峰峡基地に移送することを決めたんです。





何時も書ますが 中国大陸は広大ですから
一か所で地震が起きても同じ省内で被害の少ないところもあるんですよ。
しかし この地震は2000キロ離れた北京でも
揺れを感じたと言います。





 雅安碧峰峡にある施設は、臥竜で何か大事が起きた時(例えば伝染病とか 大地震)
国宝パンダが全滅してしまいますので、


中国では 数か所のパンダ施設が建築してあります。



 


今年2月 上野動物園から中国へ帰ったメスパンダ
「香香」が 今回 とりあえず落ち着いた場所です。





「雅安碧峰峡」は、成都の南 雅安市に、臥竜からは400キロ(直線で) 日本で言えば 東京~大阪の距離です。



地図の赤く囲ったところ 上が臥竜鎮
中が成都
下が雅安






成都~雅安(香香はこの道を
成都双流国際空港から
雅安へ行きました)


話が それたので 元に返しますが
私は、現地に在住している中国人の人よりも
情報をたくさん持っているんですが、



当時は胡錦涛主席の時代で、現代の中国の皆さんは アメリカへ中国を脱出するために ボートピープルごとき方たちが急増しているようですが、



胡錦涛閣下だって 習近平閣下と劣らず 鋭く厳しい方でしたけど 今の若者は何もご存じない。
共産党の一党独裁強権国家とはこんなものです。




さて
震災時 63頭の身の振り方は




中国国内各地の
動物園、保護施設、その他へ 32頭
残り31頭は 妊婦パンダ 11頭
前年生まれの 仔パンダ 14頭
成年パンダ 行方不明パンダ 等  6頭



内訳が曖昧な報道も多々ありましたけど
私は基地関係及び中共政府関係からの情報ですので 間違いないと思っています。



臥竜パンダ基地には 毎日あらゆる報道関係者が
出入りしていましたので 地震発生時の
ビデオは 確実に残っています。
少しづつ ご紹介します。





特に上海から 来ておられた記者は イギリスなどから観光に来ておられた外国人の
撮影をつぶさにしておられました。





15年経過すると 人々の記憶も薄れていきます。日本の3.11震災もそうですが・・
風化させてははいけません。
そのためにも この時期 様々な記憶を 私は 毎年 ブログで書いています。