「汶川大地震」その4「8.0級・怖い思いをしたパンダっ仔たち」

我々経験している地震の揺れというのは
だいたい 2秒とか3秒ですが


大地震となると
1分間は揺れているようです。




1分も揺れると 我々人間は 生きた心地しません。気も狂わんばかりでしょう。




突然 濛々とする土煙のなかで 成年パンダ達 
座り込んで 狼狽えている様子・・・(
ちょうど 昼ごはんのあとの のんびり時間)



その瞬間
慌てて登った木の上で 固まる団子(チビ)

これは 水では 有りません 土石流です。



チビたちは 怖かったと思います。この時の思いが 後々まで尾を引いています
この子たちは 勿論今は 立派なママパンダになっていますけど。。。



仔パンダを抱いて逃げる女性飼育員さんたち


汶川地震も1分以上揺れたので
全てが 破壊されてしまいました。










それと~~~~~
大きい声では言えないけど




汶川の時、学校の5階建て7階建ての校舎が総崩れしてしまったのは おから工事、手抜きがあったからだと 世界中で言われています。(トルコ地震もそうですね)建物のオカラ工事(お豆腐のオカラのことです。
お豆腐のオカラは簡単にグズグズとくずれてしまう)



まあ 8.0クラスの地震が来れば オカラじゃあなくったって 崩れちゃうけどね。。。









中国のパンダ基地は 以前も説明したように
数か所に分かれていますし(何かあった時 国宝パンダが全滅しては困る)
 それとほとんどの省には 動物園がありますので
現在 700左右のパンダたちが 飼育されていますし
野生は1800左右です。








突如襲ってきた地震のビデオは
先日紹介しましたけど


その時 震源に近かったのは 臥竜基地 (自然保護区)


成都基地は 震源から90キロ離れていたので 大打撃は受けていません。




 雅安碧峰峡も 臥竜から400キロ近く離れているので被害は少なかったのです。






前にも書いたように パンダ基地には 毎日のように
メディア関係の記者が 入って撮影しているので
情報は つぶさに知ることができます。


この日は 上海の記者が数名入って居られたのでその方たちの撮影した現場写真です。


当面 当時飼育中63頭のパンダたちの安否を確認
しなければなりません。




泥だらけになった パンダ達が一か所に集められました。



成年パンダたち





そして 臥竜基地を訪れていた 観光客の対処をしなければなりません。


夕方まで 必死に動き回られた基地の皆さんに敬意を表したい。


公にはなっておりませんが この時 基地関係の職員も不幸に遭われ亡くなった方もあったと聞きました。




基地のそばの山が ガラガラ音を立てて崩れているので とりあえず
夜までに 一歳未満のチビ6頭のパンダをセンターから6キロ離れた皮条河に設けた臨時飼育場に移送したのですが 



道路がズタズタに 寸断されているので飼育員さんたちは それぞれ
パンダっ子達を抱っこして 大きな山越えをして

迂回しながら 6キロ歩いたものだから  疲労で倒れた方や 腕が痛くなって 数日間動かせなかった飼育員さんとか・・ 後日談です。

「汶川大地震」その3「8.0級の震源地」

日本の3.11大震災は 海岸線に沿った地方の被害で
大津波による 悲惨な被害でしたが



四川省・汶川大地震は 四方が2000m~4000m級の高山に囲まれた地方の被害なので
いわゆる山津波と呼ばれるもので 山が崩れ落ち人々始め全ての物が
埋まってしまう悲惨な被害でした。






震源地
四川省汶川県映秀镇牛眠沟蓮花地区


牛眠溝(沟)蓮花心沟 (沟とは峡谷の意味) 


震源の長さは約 3 キロメートル。




山は低く見えますけど 主峰は2,800 メートルを超えていた。つまり日本の富士山より多少低い山々が 軒並み 総崩れしたと言うことです。




雪が降っているように見えますけど 全て土石流。



アバ・チベット・チャン族が多く住まっていました。



ここにも 小さい町が 有りましたけど
全て地中に 飲み込まれた跡形もなくなりました。勿論救出は出来ません。




長江(揚子江)の支流に眠江という大な川がありますが
土石流で 川は堰き止められ 川の流れが変わるほどの巨大地震でした。







震災前の街並みの略図  この川が 眠江(揚子江の支流)
都江堰~映秀~汶川 震災前に私は訪れたことがあります。
川沿いにそった国道はすばらしかったですよ。
あの小山も崩れ 下を走る国道が 地震で ズタズタになりました。




後から 詳しく書きますが
生命線の国道は一本だけなので
現場へ救出に 入ることが簡単に出来ず
大勢の人が犠牲になったのです。






震災前



震災後







山の緑が 青々とした 震前の映秀 







震災后
高山が 全て総崩れ 土石流。
地震の跡というより
戦災の跡の様な感じですね。










遺体を背負っていた父親の長男がいた中学 
映秀県漩口中




落ち着いてから震源地である故郷を訪ねた女性(アバ・チベット・チャン族)
土砂の中に 実家・両親が埋まっていても
助けることも出来ない。
白いところは全部土石流の跡。









地震后ただちに 被災地の最前線に
成都軍区から6,100人以上の将兵(軍隊)とヘリコプター4機を被災地に派遣し、被災地に駐屯する民兵予備軍と軍総合病院の医療部隊も地震救援活動に加わったらしいのですが



しかし
これでは降りることも出来ず 中国軍のヘリが墜落した事故もありました。


最終的には 人民解放軍、人民武装警察部隊、民兵・・・10万人が救援に入った。




海外の協力隊も5月18日ごろまでには
次々現地入り。




海外協力隊で 一番に現地入りしたのは
なんと 日本の救助隊でした。



日本の救援隊は とても評判が良かったのですよ。
遺体救出には お一人お一人尊厳に敬意を表していました。









風光明媚な滝の滝壺が
40mもせりあがってしまったところや



近くの川が土石流で堰き止められ 堰止め湖が
100個とか200個も出来ました。






救出や復興が遅れた理由の一つに



1っカ月も続いた 5.0クラスの余震があります。




しかし 中国は不思議な お国ですよねぇ。


復興に50年はかかるといわれた大震災ですが


しかし~~
この2か月後に 夏の北京オリンピックが開催されたんですよ。
日本の 北島康介さん、吉田沙保里さんなどが
金メダルを獲りました。。。。


日本だって 昨年のコロナパンデミックの時だって オリンピックを開催したんだから、
なんとも言えませんけど。




後片付けに携わろうにも 余震のたびに
逃げまどわなければならないなんて。。。


片付けても片付けても 余震で壊れる・・・
それも デッカイ余震です。




余震の合間を見て 後片付けです
まるで 戦争の後のようですね



ここいらの住宅は 5月12日の地震では 建物の崩壊は逃れたけど
余震で壊れてしまったらしい